私は現在40代ですが、バプテスマを受けてしまったのは宗教的幼児期の小学6年の時でした。ですから30年以上クリスチャンとして生きてきたわけですが、それは外面的なものに過ぎません。実質的にクリスチャンとして生きてきたなぁと思うのは20年くらいのものです。しかし、主は全生涯にわたって、私を導き、ベストのタイミングで道を様々に与えてくださったと真に感じています。献身とは召命に応えるという一つの選択です。キリスト教徒として、教会員として、あるいは社会人として様々な経験を経て、献身という選択が、確固たる根拠と確信をもって私に迫ってきました。献身の在り方は牧師になる事だけでもないですし、人に拠って様々ではありますが、伝道者を志すなら、
「宗教家」となる為の信仰面での見識、経験、ビジョンが不可欠です。完成されたものが必要という事ではありません。大学は神学をかじり、かみつく所です。ゼロから問い直す場所でもあります。その為にも、教会での信仰的な営みは最も吟味されるべき事柄だと私は思います。献身という事で、これからの人生をすべて、主にささげていく、というと重い事のように聞こえるかもしれませんが、とても軽いものだったりもします。前述のキリストへの根拠と確信があれば、あとは覚悟をもって進むだけです。相談すれば教会も大学も牧師も伝えてくれることでしょう。肝要さはキリストの具体的な声が聞こえるか、その一点にあるのかもしれません。