張恩榮

張恩榮

チャン・ウニョン

CHAPTER 01

神学部を目指した理由
(献身の証)

私は韓国東南部の大邱市出身です。母親がプロテスタントのクリスチャンでしたので、幼稚園から小学校、中高まで、全てミッションスクールで教育を受けた経験から、常に尊いキリスト宣教への大事さを覚えていました。
それから、平凡なクリスチャンとしての生活を過ごして日本へ留学するまでになりました。東京の法政大学人文学部史学科で、日本古代史と考古学を勉強しました。大学卒業後は帰国して、10年以上日本語教師としてキャリアを積んできたのですが、またも日本史の研究への想いを抱きつつ、今度は、日本史に加えて日本思想も一緒に研究したいという希望をもちました。最終的に大学院マスターの留学先として福岡市を決めて、ただ研究に没頭できるように共学ではない女子大であること、プロテスタント系ミッションスクールであることを条件に立てて、それを満たす大学を探して見つけました。その大学は、福岡女学院大学大学院でした。女学院での修士課程2年間は、指導教授の先生に親身なご指導をいただき、ミッションスクールならではのとても熱心で素晴らしいクリスチャンの先生達に出会うことができて、本当に恵まれた幸せな時間でした。
福岡女学院大学院を卒業して、福岡の一般企業に就職して3年半の間働いたところで、不思議なことに、何と母校である福岡女学院大学の国際交流課へと導かれました。私は、与えられた国際交流課で、アジア諸国とアメリカからの留学生達に、福岡女学院のミッションスクールとしての伝統とキリスト教精神を教える働きができて、また、女学院の中高礼拝で中高生に奨励のメッセージをするありがたい働きもできました。
その間、教会生活では、城西教会での8年間、色々な出会いと交わりと奉仕の中で、たくさんの喜びも悲しみも病気もありましたが、そのような私に転機が訪れたのは、今から約6年前のことです。

当時、私は福岡市東区香椎に住んでいて、日々の生活で早天祈祷を切に求めていた時でしたが、まことに奇跡のような出来事がありました。何と自分の住まいとして城西教会の牧師館が与えられました。朝の祈りを求めたら、神様は教会の家をくださいました。こうして、私は城西教会の無牧師の2年間、2階建て一軒家の大変恵まれた環境で生活するようになりました。
牧師館での一日は、毎日4時に起床、教会礼拝堂で30分くらいの朝の祈り、近くの大濠公園で2時間くらいの朝の運動、という日常ルーティンで始まりました。また、祈りの課題であった韓国語教室も、毎週行いました。それから、何より恵まれたのは、奏楽奉仕でした。それまで、あまり奏楽練習ができなかったのが、教会で自由にピアノが弾けるようになりましたので、讃美音楽による感謝の思いと祈りを気持ちよく熱く捧げることができました。
その中で、自然に福音宣教献身への思いが芽生えてきたのですが、ちょうどこの時、Y牧師先生がいらっしゃる佐賀教会で事務職の人選があることを聞き及び、一先ず教会の職務全般を学びたいという想いで、佐賀教会の職に志願しました。城西教会の皆様よりいただいたたくさんの愛を、これからは福音宣教の実践へ繋げたいと思いました。
それで、2020年4月、佐賀教会の事務職について、当教会員になりました。その間、ただ佐賀の地に神さまが建てられた佐賀教会のために働くとのはっきりした使命をもって、心と思いをいつも主のもとに置き続けるようにと祈りながら、働いてきましたが、突然、牧師先生が自ら辞職されました。大きな衝撃がありましたが、それよりも牧師先生を支えきれなかった自己責任を強く感じました。でも、この新しい無牧師の体制に、忍耐をもって努めました。

執事会が一般教会員の声を重んじて働かれるように、執事会が掲げた全ての行事においても、教会員に周知した上で事が進められ、共に決めていくように、できる限りのところでお手伝いしました。これには、自分が経験した城西教会の無牧師時代2年間、城西教会の教会主事を中心に執事会が、教会がまとまるように、いかに励んできたのかを覚えていたからこそでした。
このような厳しい状況の中でも、新しい形での音楽的な奉仕ができたことには、本当に大きな慰めと恵みをいただきました。自分が、ピアノソロではなく、ピアノ、ギター、ベース、フルート、リコーダー、ドラム、尺八での、演奏チームを立ち上げて、ELjoy(神の喜び)というチーム名で奏楽奉仕と特別讃美の働きをしました。コロナ禍の中で、歌声無しの讃美演奏のありがたさも感じました。あと、選曲した讃美を、ただ譜面通り演奏するのではなく、楽器との和音のため、新たにアレンジ(編曲)をしていくような作業も自分にとって大きな学びと励みになりました。
しかし、無牧師の中で、執事会の実際の執行体制に直面して、信仰面で疑問を感じつつある中で、更に今の自分の信仰的な無力さと未熟さを覚ることになりました。また、一般信徒としての牧会伝道への限界を感じたと同時に、当時、自分の職務と信仰について常に親身にご相談にのっていただきました城西教会の寺園先生を通して、牧会の目線に立っている自分に気付かされました。こうして、突如ではあるものの、この時期に献身への思いを固めることになり、神学校に身を置きたい希望をもって、2年6か月前に佐賀教会から今の西福岡のぞみ教会に転会しました。さらに、数か月後のおととし3月に佐賀教会を退職して、熊本にある日本聖書協会直営書店ハレルヤに転職するに至りました。
そもそも、佐賀教会を退職してからは福岡に戻るつもりでした。また神学校献身に望みをおいていましたので、転職先については、キリスト教精神を生かせる・国際交流活動ができる非常勤の仕事を掛け持ちしたいという希望をもっていました。ところが、想定外の急展開で、熊本のハレルヤ書店に転職することになりましたが、これは、西福岡のぞみ教会の牧師、亀井先生の賢明な助言に従った結果でした。
私は、今年の3月まで、西福岡のぞみ教会の礼拝を守るために、毎週日曜日、高速バスで熊本福岡間を移動しました。キリスト教書店での日々の仕事を通して豊かな出会いを頂けて、また毎週、好きな音楽家の新曲初演のコンサートにいくような、楽しい気晴らしの日帰りバス旅行ができました。新生讃美歌489番で、「わが時は主のみ手にあり」と歌っているように、また「コヘレトの言葉」9章で、「時と機会はだれにも臨むが、人間がその時を知らないだけだ」と神が時を定めていることを表しているように、こうして、熊本とのぞみ教会で信仰生活が守られる中で、献身の決意を持ち続けられたのは、「神様の賜物」であり、人間のすべてを支配している神様の働きがあったからこそだと思います。
「献身」というのは、誰でもすることができる、自らの信念による良きことのために、「自分自身を捧げる」ことは、必ずしもキリスト者の特権ではないと思います。また、「召命に応える」ことは、私の思いや努力によるものでもありません。私が、城西教会牧師館での生活から祈りのキリスト者になり始めて、それから、福音宣教献身への思いが芽生え、そして、佐賀教会での体験を通して、神学校献身への決意に召し出されたのは、神様に導かれた人生をイエス様が授けてくださったことだと信じます。

CHAPTER 02

学生生活

TOP
TOP