推薦教会:府中キリスト教会
研修教会:福岡国際キリスト教会
辺境からの宣教
2023 年の夏は様々な場所に行く機会が与えられた。韓国済州島のフィールドワークなどの外国に行った経験もさることながら、神学校週間では本当に多くの教会に献身を覚えて いただき、礼拝を守る恵みに与った。感染症が落ち着いたことも起因し、さまざまな集会 が対面で行うことが可能になった恩恵だろう。青年大会、壮年大会にも参加させていただ き、これからの教会の課題を考えつつ、可能性に期待を抱く時となった。
学部の学びでは、現代神学が私の心を特に惹いた。今までのキリスト教を形作ってきた 神学がヨーロッパ、白人、男性、支配者側の視点から構築されてきたことを知らされ私の 目は開かれる思いだった。もちろん聖書の福音はわたしたちに慰めを届け、愛を伝える。 しかし同時に「わたし」の所在を問うのである。イエス・キリストに出会わされ、変えら れた「わたし」とは誰か。誰と生きてきたか、どこで生きてきたか、「わたし」に問う。 信仰は真空から生まれないことを思うとき、日本という地で生きてきた人間の視点で神学 をしてこなかったことに気づかされる。
済州島、筑豊と現地に行って学ぶ機会が与えられた。ただ歴史を傍観することが神学の 学びではないことを教えていただいた。その時代、その場所で何が起こったのか、事実を 検証することはできるだろう。しかしそれは歴史学や考古学であっても神学ではない。名 前の無い墓石から聞こえてきたものは、「あなたはどこにいるのか?」という叫びに他な らなかった。強制的に日本という国へ連れてこられ、故郷へ帰るという希望を抱きつつ海 に散り、浜に打ち上げられた無念の叫びが大地から聞こえてくる。
このような叫びを聞くということは、私たちにとって決して快いものではない。私たち 30
が蓋をしてきた闇の部分を真正面から見ていくときに私たちの存在そのものが肯定される べきでないと感じるからである。だからこそ、迫害の歴史は日本人の目から隠されるのだ ろう。靖国神社遊就館、田川市石炭歴史博物館に行ったときに感じた日本の歴史認識の歪 さがまさにこのことを表していると身に染みて感じた。教会が教会としてあるときに、黒 い歴史、声なき者の声と誠実に向き合っているだろうか。まさに私のこととして問われる 出来事であった。