推薦教会:東京北教会
研修教会:福岡城西キリスト教会
佇立
1年半がたった。長いような短いような社会人を中断しての学生生活もまだ道半ばであ る。慣れてゆく部分と慣れたくはない部分とを相克しながら、教会で主に仕える働きをイ メージしながら神学生をやらせていただいている。神学生の「学び」を口実の特権は発見 の一つであった。本が割とやってくる。ありがたい話だ。福岡に来た時はあまり多くは無 かった書棚も今では満杯となり、行先を彷徨う本もいくつかあったりする。その多くは多 くの学業の課題に埋もれて開かれることは無いのは私の不精でもある。いつか一日を潰し て読むような日もあろう。いただいた神学書でほぼ手付かずの新品のような書も結構ある。 私もそのままどなたかに渡していくかもしれない。本とは巡り合わせである。だから、流 動的なのは本の宿命の一部でもあり、我々もその流動体である。電子版だとこうはいかな い。そして、教会もまた巡り合わせである。現牧師が旧知の仲ということで福岡城西教会 にお世話になっているが、来るべくして導かれたような、そんな感覚がある。合う、とか、 合わない、とかそういう事よりも啓示的な形而上的な。神学生の特権あるいは欺瞞の一つ として、「何でも学びだから」という口実がある。まぁそれは冗談にしても、素朴に自然 に神意を思う事は私にとって真の意味では貴重だ。教会をはじめとして、様々な巡り合わ せを感謝したい。
4年次という事で、学部卒業の年である。神学部といえど、大学である。いわゆる大学 生のカリキュラムをなぞる毎日だが、若人の同学年たちは夏前には就活を終えて、卒論の 本格化に向けて動いているのが昨今の一般的であるらしい。バプテストの牧師は、ある意 味では就活に最も近い形態であるとも言える。会社も教会も巡り合わせであるが、主の御 前で意志とビジョンとを互いに披露し、互いに決心を交換する意味ではある種巡り合わせ を超える。そんな主の計らいに出会う事ができるよう、誠実に神学生としての学びを続け ていきたい。学業としては私も卒業後の進路が決まる。一年の専攻科に進ませていただき たく準備をしている。許されれば、いよいよ教会に仕える時が具体的になってくる。主に 大きな期待をすると共に、静寂と深慮の時でもある。私の信仰は御心にかなっているだろ うか。私のキリスト理解は御心にかなっているだろうか。吟味しながら歩みを今後とも進 ませていただきたい。
最後に、いつも祈りとお支えをいただいている推薦教会である東京北教会、前年度研修 教会となっていただいた長住教会、そして、現研修教会の福岡城西教会の全ての方に神学生の時を共に歩んでくださり感謝申し上げます。また、全国諸教会・伝道所の伝道者養成 という協力伝道の働きによって、立てられ、支え励ましをいただいている事もありがとう ございます。主に仕え続ける事で、その一端でもその大きな恵みに応えていくものとして、 歩ませていただきたいと願います。