神学生紹介
吉田睿濫

神学研究科修士 2年 吉田睿濫
推薦教会:福音村バプテスト教会
研修教会:福岡ベタニヤ村教会

実りを信じるから種を蒔く

主の御名を心から賛美します。今年の 8 月に東アジア平和センター・福岡主催の「第二回 青年平和学校・チェジュ」に参加しました。西南学院大学の神学部生を含め多くの青年お よび一般の方と韓国のチェジュ島で 3 泊 4 日ともに過ごすことのできる時が与えられまし た。本土から離れていることによって都合の良いように利用されてしまう、まさに沖縄の ようなチェジュの悲惨な歴史を理論的かつ実践的に学べたことがとても大きな経験だった のかと思います。しかし、私はこの平和学校が青年たちの学びや経験による平和運動家へ の全的な変化のためにあるものではなくむしろ一つの「種蒔き」だったのかと思います。 この集会はもしかしたらからし種のような小さなものであり、それ自体だけでは何の意味 もなさないかのように見えるかもしれないが、その種を蒔いたことによって平和の大切さ と今後の実践が多くの「実り」として結ばれたきっかけとなったのは間違いありません。 それは私だけでなく平和学校に参加した全ての方々が思われたことでしょう。同じように 何か大きなことを始めるためのきっかけ作りは当然大切なことです。例えば新しい楽器が 弾けるようになりたい、ダイエットに成功したい、より神さまとの関係を深めたいなど 様々な願望がそれぞれあるかと思います。一方組織レベルでも同じことが言えますが、伝 道を通して派遣していく教会となっていきたい、より地域に知らされる教会になりたい、 牧師を招聘したい、あるいは教会員それぞれがより神さまと深く交わり、強く繋がる教会 となりたいなどの目標を持っているかと思います。これらの大切な願いが「実り」となっ ていくために間違いなく「種蒔き」が必要になってきます。せっかく素敵な目標があるの に目標が「目標」とならず、立てたは良いものの結局中途半端なまま一年が終わってしま う、あるいは、教会のほんの一部の人のみが一生懸命働いているような状況。教会が目標 を立てるのは、主が成し遂げてくださると信じる信頼に基づいた教会の「成長」が目的で あって、叶わぬ願いを掲げているのではありません。確かに教会員の思いの一致がない限 りキリストの体として、成長の一歩を進むことは本当に難しいことです。だからこそきっ かけ作りすなわち種蒔きは、立てた目標の意味や背景、そしてそれが成された時の将来へ の希望までも見せるでしょう。きっかけがあるかないかで結果は大きく異なると思いま す。一人が十歩を進むより、十人が同じ一歩を進むことができる教会はなんと素晴らしく 力強い共同体でしょうか。

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