石原誠

石原誠

いしはら・まこと

主にある希望を伝え歩くのだ

CHAPTER 01

神学部を目指した理由
(献身の証)

2020年からのコロナ危機の影響で、当時フリーランスとして仕事をしていた私は大きな打撃を受けました。積み上げてきたものが崩れ落ちていくような絶望感に打ちひしがれたのです。そんな私を支えてくれたのは、主の力強いみ言葉でした。
「あなたの業を主にゆだねれば計らう事は固く立つ。」
「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる。」(箴言16:3,9)

このみ言葉が私の支えとなり、世の中で“Stay Home”が浸透している中で、毎日主の前に静まり、祈りながら過ごしていたのです
そして、このような世界規模での非常事態の中でも不思議と、家族の健康、我が家の経済は護られていた事に驚かされるのです。同時に、主の偉大な力を感じずにはいられず、心からの畏れと敬い、感謝が、知らぬ間に私の内に在るようになっていき、主への信頼が平安へと導いて下さったのです。
一方で、周囲の人々や流れて来るニュースからは、ネガティブな希望のない内容ばかりだったのを覚えています。ひきこもり状態で連絡が取れなくなっていたり、追い込まれた状況で、あの手この手で奮闘しつつも報われない者がいたり、はてには自死や、孤独死というのを身近に感じるようになっていったのです。
その様な現実を目の当たりにして「私だけが平安に与っていてはいけない。子どもたちの未来のためにも、今こそ希望の光を伝えていかなければならない。」その様に思わされ、その時に出来る事をしようという事で、SNSでみ言葉動画を発信したり、絵本の読み語り動画を発信したり、教会内で近況報告という事で“かわら版”を発行したりしたのです。その時に多くの方に喜んでいただけました。そしてそれが自身の喜びにもなって、もっと大胆にみ言葉を伝え、希望の福音を多くの人に届けたいと思わされたのです。
そしてその思いに素直に応答する形で私は献身の思いが固められていき、とにかく主にある希望を伝え歩くのだという召命をもって、牧者としての道を歩む決心をしたのです。

CHAPTER 02

学生生活

私は2023年度、西南学院大学神学部神学科 選科生として入学いたしました。授業は学部の学生さんたちと一緒に授業を受けるのですが、とても新鮮な気持ちになります。19歳や20歳の人たちとの交流は、現代の若い人たちの感覚を間近に感じることができ、刺激と共に新たな視点にも気づかされることがあり、私自身とても研ぎ澄まされる思いになります。そして、私にとって神学は行きつくところがありません。学べば学ぶほど、知れば知るほど奥が深く、果てしなく続いていくような感じがします。ですから知識だけを追い求める勉強の仕方では疲れ果て、その活かし方すら分からずバーンアウトしてしまうのではないかと思わされています。特に私のような四十オーバーの年齢になって、大学で本格的に学ぶということは、
恵みではありますが、「なぜ今、私がここに居るのか?」「主が、私に期待されている歩みはどういう道なのか?」と、いつも祈り問いながら学んでいかなければ、次々と新たに入ってくる知識の渦の中で、迷子になり彷徨う可能性もあると思わされています。ですので私は“主に聴く”という事を常に心に留めています。神学生時代は“荒野”だとも言われ、確かにそうだなと思うところもありますが、じっくりとみ心を祈り求めて、毎日を過ごすことが出来るのは、とても恵みに富んだ贅沢な期間だと私は感じています。
この感覚を共有できる方と西南学院大学神学部で、神学生生活を共にし信仰の友となって共に学びたいと願い祈っております。
TOP
TOP