奥田悟

奥田悟

おくだ・さとる

神学部を目指した理由

CHAPTER 01

献身の証

私は現在40代ですが、バプテスマを受けてしまったのは宗教的幼児期の小学6年の時でした。ですから30年以上クリスチャンとして生きてきたわけですが、それは外面的なものに過ぎません。実質的にクリスチャンとして生きてきたなぁと思うのは20年くらいのものです。しかし、主は全生涯にわたって、私を導き、ベストのタイミングで道を様々に与えてくださったと真に感じています。献身とは召命に応えるという一つの選択です。キリスト教徒として、教会員として、あるいは社会人として様々な経験を経て、献身という選択が、確固たる根拠と確信をもって私に迫ってきました。献身の在り方は牧師になる事だけでもないですし、人に拠って様々ではありますが、伝道者を志すなら、
「宗教家」となる為の信仰面での見識、経験、ビジョンが不可欠です。完成されたものが必要という事ではありません。大学は神学をかじり、かみつく所です。ゼロから問い直す場所でもあります。その為にも、教会での信仰的な営みは最も吟味されるべき事柄だと私は思います。献身という事で、これからの人生をすべて、主にささげていく、というと重い事のように聞こえるかもしれませんが、とても軽いものだったりもします。前述のキリストへの根拠と確信があれば、あとは覚悟をもって進むだけです。相談すれば教会も大学も牧師も伝えてくれることでしょう。肝要さはキリストの具体的な声が聞こえるか、その一点にあるのかもしれません。

CHAPTER 02

学生生活

現在は神学生2年目、神学部3年からの西南学院への入学でしたので、学部4年生です。ですから、必修である卒業論文が目下の取り組みです。これまでは専門科目である○○概論(入門的なもの)を一斉にとって、歴史に重きを感じている私は歴史分野を少し選択科目としてとりました。バプテストの牧師となるための教派神学校としては「バプテスト史」(必修)しか科目がないので、信徒時代にバプテストについての概要を知っておき、自分なりの見識を持っておくことは必須だと私は思ったりもします。神学寮はいわゆる学生寮、ではありません。
若者が青春を過ごす何でもありな大学の学生寮というイメージもあるかもしれませんが。朝礼拝をはじめ、自治組織として様々な活動を行う場でもあります。逆に言えば自分達で話し合って自由に決めていく領域、責任も広いので、教会の働きにとっても良い試行の時となるでしょう。主日以外は朝夕の食事もあるので、もし、一人暮らしの家賃だけを給付される奨学金などであれば、だいぶ違った生活になったと思います。神学寮も学びの機会も自らがどの様に使っていくのか、自分次第という所がありますので、充実したビジョンや計画があると有意義であるかもしれません。
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