境界を生きる
神学部長 才藤 千津子
神学部教授会

教員からのメッセージ

境界を生きる

昨年、大学院の授業で取り上げた牧会学のテキストは、Robert C. Dykstra, Images of

Pastoral Care: Classic Readings です。この本の編著者ロバート・C.・ディクストラは、現 在、アメリカ東部のプリンストン神学校の牧会神学教授です。この本で、彼は、英語圏に おいて 20 世紀の牧会学に貢献した 19 人の牧会学者の代表的な著作を紹介し、彼ら現代牧 会学の研究者たちが、「傷ついた癒し人(wounded healer)」(ヘンリ・ナウエン)や「賢い 愚か者(wise fool)」(ドナルド・キャップス)、「生きた人間のネットワーク(living human web)」(ボニー・ジーンマクレモア)など、さまざまなメタファーを使って現代の牧会や牧会者のイメージを描き出そうとしたことを評価しています。そして、これらのイメージを 一冊にまとめることで、牧師や神学生が、自らの牧会スタイルを方向付けるメタファーを 見分けることができるだけでなく、ミニストリーにおいて自分に役に立つメタファーを発 見する助けとなることを願っていると書いています。(同著、p.8)

この本の中のエッセイとイメージの数々に触れた時、私は、人や共同体の牧会について 衝撃的なまでに豊穣な知恵と経験の世界に出会う経験をしました。ここには、古くからキ リスト教共同体においてケアの行為を導いてきた実践的な知恵が、現代の信仰の言葉で表 現されているのです。しかし、私がこれらのテキストに惹かれるのはそれだけではありま せん。これらのテキストに通底しているのは、牧会で人々の魂について語るときには、合 理的な言葉ではなく、「イメージ」や「メタファー」を通してでなければ表現できない、 うまく伝えられない何かがあるという確信、そして、そのことの痛みです。

牧会学を学び始めた頃、先輩たちからよく聞いた言葉があります。それは、牧会学とい う分野のアイデンティティのあいまいさと脆弱性であり、牧会学は、聖書学や組織神学な ど他の神学に比べて神学的厳密性や論理的整合性に欠けるとして批判され、神学の周縁部 に置かれてきたという事実です。

現場での実践においても、例えば私は、神あるいは他者との関わりにおいて、自分が何 をなすべきか確信をもってわかっているという感覚を持つことはありません。人は複雑な 生き物ですし、込み入った人間関係の中で何が起こっているのかを即座に見通すことなど できません。人々が失望や喪失、絶望に直面したときにどう「対処」すべきかを明確に知 っているなどと言う人がいれば、私はそれを疑うでしょう。

しかし、ディクストラは、教会と社会の「周縁部」「境界上」に置かれているという脆 弱さや曖昧さ、断片的なアイデンティティは、牧会学の重荷であるとともに、その召命で あり、恵みでもある(p.2 他)と述べています。なぜならば、牧会学者と牧会者が注意を 向けようとしてきた人たちも、社会のパワー(力)の中心におらず、周縁部に置かれてい るか、人々から忘れ去られている場合が多いからです。(p.4)この本の著者たちは、「周縁 部」「境界上」に置かれて苦悩し、絶望している人々に寄り添うための鋭い感性のような ものを持っています。これこそが、牧会や牧会学の先達者たちが育んできた貴重な財産だ と言えるのではないでしょうか。

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