「イエス・キリストの御名によって」
ヘブライ語には「ゲマトリア」というアルファベット子音文字自体の持つ数価を利用して単語を合計数に置き換える独特の表現法・解釈法が存在します。語末形と基本形で数価 を区別しない方式としては、「皇帝ネロ」(קסר נרון)が100 + 60 + 200 + 50 + 200 + 6 + 50 = 666になるとか、「神の子ら」(בני־האלהים)が2 + 50 + 10 + 5 + 1 + 30 + 5 + 10 + 40 = )ישוע153になる等が有名です。同様に数えると、「イエス」(ヘブライ語イェーシューアァ )משיחとなり、「キリスト」(同マーシーアハ 386=)ע(70+)ו(6+)ש(300+)י(10 は は 40(358=)ח(8+)י(10+)ש(300+)מ になります。「イエス・キリスト」(イェーシ ューアァ・マーシーアハ)は 744 です。しばし学問的厳密さから離れて数字の遊びの黙想 を楽しみましょう。
例えば、「バラクエルの子エリフ」(אליהוא בן־ברכאל)は1 + 30 + 10 + 5 + 6 + 1 + 2 + 50 + 2 + 200 + 20 + 1 + 30 = 358で「キリスト」と同数になります。これなどは、ヨブ記にお けるエリフの弁論部分を後代の付加として過小評価してきたことに対する再考を促すかも 知れません。
また、「二千匹の豚」(אלפים חזירים)は1+30+80+10+40+8+7+10+200+10+ + 386)ישוע האדם436で「かの人間イエス」(イェーシューアァ・ハー・アーダーム = 40 5 + 1 + 4 + 40 = 436と同数になります。これなどは「豚は死んでもいいのか」と悩む来会 者や青少年クリスチャンへの何らかの語りかけの役に立つかもしれません。
神の固有名詞「主」(YHWHיהוה)は10 + 5 + 6 + 5 = 26、「彼にふさわしい助け手」(エ ーゼル・ケネグドーעזר כנגדו)は70+7+200+20+50+3+4+6=360なので、「主」と 「エーゼル・ケネグドー」を足すと 386 で「イエス」と同数になります。つまりイエスと いう名の中に、主とエーゼル・ケネグドーが寄り添っているのです。
)בצלמנו כדמותנו我々のかたちに、我々の姿に」(ベツァルメーヌー・キデムーテーヌー「 は 2 + 9 0 + 3 0 + 4 0 + 5 0 + 6 + 2 0 + 4 + 4 0 + 6 + 4 0 0 + 5 0 + 6 = 7 4 4 な の で 、「 イ エ ス 」 と 「キリスト」の和と同数になります。
数字の総和は恣意的に幾通りでも当てはめ可能であり、学問的には論外の妄想に過ぎま せんが、それでも旧新約聖書は神の民が世界帝国による抑圧の下で意気消沈した信仰共同 体を励ますためにゲマトリアやアトバシュなどを真剣に用いたことを伝えています。
「今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば 与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」(ヨハネ 16:24)
このみことばを現在的な希望に満ちた救い主からの呼びかけとして聴くとき、「イエス・ キリストの御名」にさらに広く深く思いを致すよう促されます。こうした黙想もその一助 になるのではないでしょうか。