バークレー先生ご退任を覚えて
金丸英子、濱野道雄

ギャリーのこと

金丸 英子

今年度の『道』は、今年 3 月に退職なさった G. W. バークレー先生の記事を掲載する という。これまで定年退職した教員に関する記事はなかったので、ありがたいと言えばあ りがたいが、しかしどう書けばよいのか。私の神学部着任は 2008 年だと思うが(「だと思 うが」も情けないことである)、その時バークレー先生はすでに学長か院長で、以来ずっ と役職についておられ、教授会で同席したことはない。そういう意味で、「同僚としての バークレー先生」という思い出のない私に、何が書けよう。
しかし、共通点はいくつかある。生年月日がほぼ同じで、私の方がわずか数日早く生ま れたこと。アメリカの同じ神学校、同じ課程(教会史)で学んで学んだこと。その繋がり で共通の恩師や友人が複数いること。その上、バークレー先生が西南に赴任する前、東京 で 1 度会っている。その時、「神学部でドイツの神学者ディートリッヒ・ボンヘッファー で卒論を書いた」と言ったら、私がドイツ語に堪能だという誤った印象を与えたようで、 それがアメリカの教会史の教授に伝わっていた。
私には「バークレー先生」よりも「ギャリー」がぴったりくる。メールの交換も「先 生」をつける時とファーストネームの時があって、割合は後者が断然高い。私にとって、 心情を吐露でき、自分の失敗、醜い部分、恥ずかしい部分を隠す必要のない、あたかも嵐 の中の港のような存在だったのだ。にっちもさっちもいかなくなると、パイプの葉タバコ の甘い香りが漂う研究室に足が向いた。その求めに対して、学長・院長の過密スケジュー ルを理由に断られたことはない。こちらの言うことを黙って聞いてくれたが、「とりあえ ず」の慰めは言わなかった。キャンパスの立ち話も正面から応じてくれた。職場にこのよ うな存在がいること自体、私には大きな救いで、毎日学研に入る際、建物を見上げ、ギャ リーの研究室に目をやって「救いの在り処」を確認したものだ。私には、感情を表に出し たギャリーは記憶にない。感情の起伏が少ないのではなく、感情のコントロールができて いたのだ。それは持って生まれた性格とともに、ギャリーを育んだキリスト教の霊性によ るものだ。そこから滲み出た穏やかな風貌と口調を前にして、こちらの構えは何度解かれ たことだろう。
そのギャリーが早期退職で帰国すると聞いた時は悲しかった。これからどこに逃げ込め ばよいのかと不安もあったが、ギャリーがいなくなって約半年、私はどうにかやってい る。が、さびしさは消えない。近しい人を送るというのは、こういうことなのだろう。

『西南学院大学 神学論集』第80巻 第1号(2023 年 3 月発行)より

謝辞

神学部長 濱野道雄

ギャーリ・ウェイン・バークレー(Gary Wayne Barkley)先生は神学部での 36 年間の
お働きを終え、2023 年 3 月末日をもって選択定年制で退職されます。『神学論集』の本号 を G・W・バークレー教授退職記念号として発行し、これをもって先生の神学部と西南学 院への多大な貢献に対する感謝の意とさせていただきます。
バークレー先生は、サザン・バプテスト神学校大学院博士課程修了後、1984 年から米国 南部バプテスト連盟宣教師として来日されています。西南学院大学神学部では 1987 年よ り講師として歴史神学の教員の働きを始められ、助教授時代には私も学生として授業で教 えて頂きました。1995 年には教授に昇任、1996 年からは神学部長を務められました。さ らに 2006 年から 2014 年と 2018 年から 2022 年まで西南学院大学学長を、2012 年から 2020 年まで西南学院院長を、2015 年から 2022 年は西南学院理事長を務められました。 先生は多大な期待と支持を受け、36 年間の後半は学長や院長、理事長という激務且つ重大 な責任を担う役職が続きました。結果、今年度担当された授業としては「キリスト教学」 のみにならざるを得ず、恐らく先生が最初に日本にいらっしゃった時に想像なさったのと も違う年月を重ねられたのではないでしょうか。
バークレー先生のご専門は古代キリスト教史で、中でもオリゲネスの研究をなさってい ます。博士論文のタイトルは『オリゲネスのレビ記説教:注釈付き翻訳』で、アメリカで 発行されている教父文献のシリーズにその翻訳も収められています。しかし申し訳なく も、また他人事でなくも思いますが、その激務の時代は学術論文の発表はあまりなさって いません。けれども原点にあったオリゲネス研究は、先生の学長等の働きを通して活かさ れ、西南学院を一味も二味も変えたのだと思います。オリゲネスは、その万民救済的神学 などから、死後に異端宣告を受けています。そのオリゲネスに学んだバークレー先生は、 信条主義をとらないバプテストの伝統にも沿って、敢えて言えば「キリスト教ではなくキ リストを信じて」立っていらっしゃったと思います。そのため、決まり事や伝統や功利を 第一とするのではない、その時々に最もサポートを必要とする学生や働きに西南学院を導 き向かい合わせる舵取りをお続けになることができたのだと、感謝しております。
また 2000 年の信仰宣言に表れていますが米国南部バプテスト連盟が共和党に乗っ取ら れるように右傾化・原理主義化した時、宣教師としての誓約書にサインを求められた際、 その信仰宣言ではなく聖書を信じるという態度をとり、2002 年には宣教師としての立場を 辞され、リスクをもお引き受けくださったことに、私はずっと敬意を抱いています。
『美徳の中のキリスト者』を記したスタンリー・ハワーワスは、キリスト者はヒーローではなく、キリストの弟子であるセインツ(聖徒)になるように招かれているといいます が、バークレー先生からそのキリスト者としての大切な生き方を具体的に教えていただい たと思っています。人々の前に立ち、称賛され、競争に打ち勝ち、常に成功し、他の人々 と違うエリートたるヒーローではなく、キリストを前に立て、誠実に人々と共に歩み、弱 さも自覚し、学校という共同体を形成していくセインツの姿を、私はバークレー先生に見 ます。この姿は実に、これから世界に出ていく学生たちだけではなく、牧師や教員も含め たこれからの時代のリーダーに求められるものでしょう。
キャンパスで出会えば、そっと近寄って下さり、静かにブラックジョークや自虐的な冗 談をつぶやいて下さることももう無くなるのかと思えば寂しくなります。何より、もっと 神学的な対話をしたかった、より学ばせていただきたかったという思いを、先生の教え子 としても、不肖にして同僚として頂いた者としても抱いております。しかしバークレー先 生は選択定年制で少し早く退職されることもあり、これからさらにご研究や神学部への寄 与をして下さると期待もしております。オリゲネスや古代キリスト教史に関してのご研究 とご教授、そして「キリスト教学」等では展開されていたと伺っております「霊性」に関 するご研究とご教授が、これからさらに豊かに展開され、神学部で何らかの形で分かちあ っていただけることを楽しみにしております。そしてきっとアメリカと、そしてバプテス トの一番良い部分と、神学部をこれからも結び付け続けてくださることでしょう。
G・W・バークレー先生のお働きに感謝と敬意を表し、ご健勝を私たちの神に祈り、今 後も様々な機会にご教授頂けることをお願い申しあげます。
2022 年 1 月

関連記事

TOP
TOP